妊娠妻の電話に出ない…いまだ夢見る漫画家志望の夫とワンオペ妻の軋轢

ミドリマチ 作家・ライター
更新日:2024-07-13 06:00
投稿日:2024-07-13 06:00

過酷な勤務の後、笑顔で帰ってくるけど…

 拓郎が勤務する施設は人手不足ということもあり、彼は今、夜勤専従のような状態である。勤務時間は契約上では8時間。

 しかし、サービス残業的な雑務があり、いつも夕方には家を出て、朝の9時頃帰宅している。稼げるからだとはいうが、過酷な14時間労働の週6出勤だ。

 それにもかかわらず、彼はいつも笑顔で帰ってきてくれる。絵里奈が逆に心配になってしまうほどの明るさで。

「…どうした?」

 熱い視線で見つめる絵里奈に気づき、拓郎は顔をあげた。

「いつもお仕事お疲れさん」

「なんだよ、急に。家族のためだから、当然だろう」

「もし、つらかったら隠さずに私に言ってね」

「大丈夫だよ。むしろ働くのは生きがいだから」

 拓郎は屈託なく笑い、その表情には一点の曇りもない。

彼の中にある「夢」は消えていない

 ひとまず安心した絵里奈だったが、やはり申し訳なく思う。彼の胸の中には、いまだくすぶる炎があることを知っているから。

 先ほど、絵里奈は旧友の漫画家の話題を振った。しかし、詳細を聞こうともせず、拓郎は目をそらした。

 その時、彼の眠そうな瞳の奥に、いまだ消えぬ炎を見たのだ。

 絵里奈もかつて同人誌の世界では名が知られている作家だった。その気持ちは痛いほどよくわかる。いまも、未練がないわけではない。

 予想外の妊娠はお互いの責任で、結婚も出産も二人で選んだことなのだけれど…。

 ――彼が頑張っているんだもん。私も…。

 お互いの感謝があるからこそ、昼夜逆転のすれちがい生活やワンオペ双子育児を両親や親戚に頼らず一人でこなせている。

 深夜の夜泣き、隣人からの騒音クレーム、買い物もままならない心苦しさ…絵里奈はほとんど一人で乗り切らねばならなかったが、夢を絶って仕事に励む拓郎を思うと歯を食いしばることができる。むしろ、食いしばらなければならない。

 ――本音はもっと育児に協力してほしいんだけどね。

 絵里奈は、現在第3子の妊娠中。今月で6カ月になる。

夫は「帰宅した」との言葉 勤務中のはずじゃ? 

 そんなある日のこと。

 拓郎が夜勤の深夜2時、絵里奈の腹部に鈍痛が走った。

 ――ん、何この痛み…。

 嫌な予感。時計の秒針が進むたびにその痛みは増してきた。

 藁をもすがる思いで、彼の勤務する施設にかけてみる。何十コールののち、面倒くさそうな声が電話口に出た。

「はい、“シニアの郷”です」

 それは拓郎の声ではない。しゃがれた高齢男性の声だった。

「や…夜分にお忙しいところ本当に申し訳ございません。林の妻です。緊急事態がありましてお電話を」

 痛みに耐えながら、しどろもどろな低姿勢で呼び出した。

「ああ、林さん…拓郎さんですね――」

 ホッとした、次の瞬間、絵里奈の耳に入ってきたのは信じられない回答だった。

「拓郎さんなら、すでに帰りましたよ」

#2へつづく:勤務先から聞いた予想外の一言。夫はどこに行ったの?】

ミドリマチ
記事一覧
作家・ライター
静岡県生まれ。大手損害保険会社勤務を経て作家業に転身。女子SPA!、文春オンライン、東京カレンダーwebなどに小説や記事を寄稿する。
好きな作家は林真理子、西村賢太、花村萬月など。休日は中央線沿線を徘徊している。

関連キーワード

ライフスタイル 新着一覧


球根をお得に買うなら秋! でも植えるのは“待ち”が正解。「秋植え」のベストタイミングはいつ?
 もー、いきなりの秋! その秋は「ほっぽらかし園芸」の明暗を左右する宿根・多年草を植えるベストシーズンです。
商店会勧誘で実感。この町は「超ヤカラ的おじーおばー」の⽣息地だった!
 本コラムは、地元の“幽霊商店会”から「相談がある」と言われ、再始動の先導役を担う会長職を拝命することになったバツイチ女...
ま、まじか…。価格最重視で選んだ大バズり中の「解凍プレート」で牛肉切り落としの運命が変わった!
 話題のコスメや、広告でよく見かける化粧品や日用品。「webでよく見るあの商品、本当にイイの?」「買ってみたいけれど、口...
【45歳からの歯科矯正】ワイヤー矯正終わったのにマウスピースを装着。毎日キッチン泡ハイターが手放せない
 ワイヤー矯正が終了し、1年半装着していた矯正器具を外しました。食後の歯磨きのしやすさに感動するのもつかの間、今度は「マ...
子育ては「完璧主義」だと詰む! SNSの“キラキラママ”に振り回されないためには?
 セックスレスやセルフプレジャー、夫婦の在り方をテーマにブログやコラムを執筆している豆木メイです。
小馬鹿にする人って実は…。隠された心理とメンタルを死守するための3つの対処法
 会話の節々で「私のことを小馬鹿にしてる…?」と感じるような言動をとってくる人、いますよね。今回は、他人を小馬鹿にする人...
「寝香水」って知ってる?【10月前半】調香師が睡眠の質を高めるアロマをタイプ別に解説
 少しずつ寒くなる季節の変わり目は、しっかり睡眠をとって自律神経を整えましょう。今回は、調香師ならではの裏ワザ【幸福感に...
秋の祭りを共に過ごす時間
 このひと時が宝物だなって気が付くのは、  まだまだ先の話。
老化、苦労、ボトックスとも無縁な御年50のハローキティちゃん
 踊り子として舞台に立ち、エッセイも書く新井見枝香さんの月イチ連載です。アラフォーいろいろあるけど、楽しいよ…!
見せ場もばっちりにゃん! プロレスごっこの“たまたま”が可愛すぎる~
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
ほっこり癒し漫画/第82回「ウシオの大変身」
【連載第82回】  ベストセラー『ねことじいちゃん』の作者が描く話題作が、「コクハク」に登場! 「しっぽのお...
「破瓜」って何歳? バージン喪失の意味もある!?
 知っているようで意外と知らない「ことば」ってたくさんありますよね。「女ことば」では、女性にまつわる漢字や熟語、表現、地...
昭和レトロぎゃふん!「ほの字のカレのため、がんばりマッスル」あえての昭和言葉がエモいLINE3選
 令和の今、昭和は遥か昔の時代に感じますよね。40代女性の皆さんは、必死に「昭和感」が出ないよう、細心の注意を払ってきた...
令和のコメ不足、その手があった!価格高騰の秋も使える我が家の対策6選
 新米シーズンに突入し、少し落ち着きを見せているものの、この夏みんなが気になって仕方なかったニュースといえば、令和の米騒...
刺さるわあ…親の“結婚しろ圧”LINE3選。OVER30が涙した「いつまでも元気でいられないから」
 30代半ばを超えると、親からの結婚に対する圧もより一層強くなってきますよね。  LINEに忍ばせた小さなプレッシャー...
自己顕示欲バンザイ! スナックママが教える「自分らしく生きる」ヒント
 みなさん、SNSとかで目立つ人は好きですか? 私はついこの間まで、正直めちゃくちゃ苦手でした。  でも先日、スナ...