妊娠妻の電話に出ない…いまだ夢見る漫画家志望の夫とワンオペ妻の軋轢

ミドリマチ 作家・ライター
更新日:2024-07-13 06:00
投稿日:2024-07-13 06:00

【吉祥寺の女・林絵里奈32歳 #1】

 初夏の印象が霞むほどの汗ばむ陽気の午前中。

 林絵里奈は井の頭公園の池のほとりのベンチに腰を掛け、在りし日のデートの記憶をたどっていた。

 ――井の頭公園のボートに乗ったら別れるって有名なジンクスがあるけど…。

 一説によれば、池の社に祀られている女性の神様・弁財天は非常に嫉妬深く、カップルを見つけると呪いをかけるからなのだそう。

「ママー、ありしゃんいたー」

「大きいありしゃん、こわーい」

 スワンボートに乗る男女をぼんやり眺める絵里奈の横には、無邪気に遊ぶ双子の娘がいる。名前はウミとナミ。二人は3歳になったばかりで、来年、幼稚園に上がる予定だ。

 交際して10年。結婚して4年目。初デートで井の頭公園のボートに乗った相手と絵里奈は家庭を持ち、今もなお幸せに暮らしている。

 ――なんで私たち、あの時ボートに乗ったんだっけ…。

 ふと疑問に思い、当時を思い出そうとする。だが、どうしてもその途中で靄がかかってしまう。

 しばし、頭を抱えていると、ウミの泣き声が聞こえてきた。木に正面からぶつかったらしい。

 思考は自ずと遮られ、子供の元に身体が動く。駆け寄ると、片割れもつられて泣き出した。

 絵里奈の物思いは今日もうやむやになっていった。

漫画家を志していた二人。結婚を機に断念

「うん。『吉祥寺はるみアパート物語』ね。懐かしいなあ」

「取材に付き合ってと言われた私が告白と勘違いして、なし崩し的に付き合うことになったんだっけ」

 拓郎は絵里奈の一つ年下。二人は学生時代、吉祥寺在住の漫画家のアシスタント同士として出会った。

 プロの漫画家を夢見る者として切磋琢磨していた二人。しかし子供ができ、入籍したことを機に共に筆を折った。

 拓郎は現在、介護福祉士として、絵里奈は専業主婦としてこの街に今もなお暮らしている。

 一家が暮らす吉祥寺。

「住みたい街ランキング」の上位であるものの、保育園も激戦、家賃も周辺駅に比べたら比較的高い。そのため築50年の安いアパート暮らしだというのに、絵里奈と拓郎はいまだこの街から離れていない。

 お互いに引っ越そうとも口に出さない。その吸引力が何なのか、絵里奈はわかるようでわからなかった。

最近の夫はどこか上の空

 昼食のたらこパスタを頬張る拓郎はどこか上の空であった。

 絵里奈は「もののけ姫」のこだまのようなその表情が心配になり、SNSで見かけた旧友の何気ない話題を投げかけてみた。

「そう言えば、Xで有井ちゃんが描いた漫画がバズっていたね」

「ああ…」

 適当に頷いて、口を噤(つぐ)む拓郎。

 やはりまだ眠いのかどこか心あらずだ。フォークでパスタを巻きながらも、時折舟を漕いでいる。

ミドリマチ
記事一覧
作家・ライター
静岡県生まれ。大手損害保険会社勤務を経て作家業に転身。女子SPA!、文春オンライン、東京カレンダーwebなどに小説や記事を寄稿する。
好きな作家は林真理子、西村賢太、花村萬月など。休日は中央線沿線を徘徊している。

関連キーワード

ライフスタイル 新着一覧


茜色に心和むひと時、だからこの時間が好きなんだ
 忙しない街にも訪れる特別な時間。  足早に歩く人々は顔を上げ、しばし空を仰ぎ見てから、また現実へと戻っていく。 ...
女+家=嫁…「嫁ぐ」と「結婚」の違いはある?
 知っているようで意外と知らない「ことば」ってたくさんありますよね。「女ことば」では、女性にまつわる漢字や熟語、表現、地...
ほっこり癒し漫画/第68回「コウメばあちゃんはどこ?」
【連載第68回】  ベストセラー『ねことじいちゃん』の作者が描く話題作が、突然「コクハク」に登場! 「しっぽ...
貸したお金を催促するのにこんな手が…! モヤモヤを解消するLINE3選
 人にお金を貸した後、なかなか返してくれなかったら、とても嫌な気持ちになりますよね。  とはいえ、お金の話は、言い...
電マの営業からラブホの清掃員へ…羞恥心とも戦うストリッパーが思うこと
『電マの営業・新井です!』(略して「電マの新井」)という新作が大変好評だ。  書店員にとっての新作といえば「新しく...
口喧嘩で負けたくない! 勝ちたい時に使えるマル秘戦術3選
 みなさんは誰かと口論になった時、どんな戦法で勝ちにいきますか?  方法は十人十色ですが、今回は代表的な勝ちパターン...
凍り付いた湖の夜が更けて
 もしも突然、この瞬間に、氷が解けたらどうなるんだろう。  そう思いながら、凍て付いた湖の上に立つ自分が結構好き。...
「レンジでゆたぽん」人気じわり..足を温めると眠りやすい!
「レンジでゆたぽん」を知ったのは、年末年始に長野県の義実家に行った時。寒がりな私を気遣って、義母が用意してくれたのです。...
青空にオレンジボディが映え“たまたま”の見返りメンチにキュン
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
私って性格悪い? 自分のダークサイドを自覚した4つの瞬間
 誰の心にだって、優しい部分と優しくない部分が存在するもの。そうわかっていても、自分の心のダークサイドを自覚すると「もし...
卒入学、彼岸、送別会【花屋が教える】予算内で理想の花束を贈る7カ条
「斑目さん、今年こそは頑張って期限内にお願いしますよ!」  お正月がなんとなく終わったばかり、なんて思っていたら、我が...
「とにかく盛り上がるやつ頼むよ」ってさぁ 先輩の無茶ぶりLINEがすぎる
 お笑い芸人の松本人志とその後輩芸人たちによるアテンド飲み会が話題になっていますね。  ニュースの真偽はともかく、...
2024-02-21 06:00 ライフスタイル
仕事のサボりがバレた瞬間4選 リモートワークは意外と見られている!
 近年では、リモートワークやフレックスタイムなどの制度が導入されて、数年前よりも働きやすくなりました。  一方で、自由...
真似から始まったファッションも、いつか体に馴染むもの
 北海道で暮らす、まん丸で真っ白な小さな鳥「シマエナガちゃん」。動物写真家の小原玲さんが撮影した可愛くて凛々しいシマエナ...
年の差婚の弊害?夫の“昭和の価値観”を持つ息子の将来が不安すぎる件
 セックスレスやセルフプレジャー、夫婦の在り方などをテーマにブログやコラムを執筆しているまめです。  私の夫は10...
仕事のモチベが上がらない!30女40女のやる気スイッチをONにするテク
 どんなに好きな仕事でもモチベーションが上がらない時だってありますよね。気持ちが乗っていない時は、ミスしたり、時間が永遠...