「GREAT3」に続けと、達郎・浜省・みゆき・永ちゃんという「BIG4」が次々デビュー
【1975 ~そのときニューミュージックが生まれた】#1
序論:1975年の「ニューミュージック」を今語るべき理由①
◇ ◇ ◇
新連載が始まります。題して「1975~そのときニューミュージックが生まれた」。
音楽評論家のスージー鈴木と申します。日刊ゲンダイでは、今年の4月の頭まで「沢田研二の音楽1980-1985」という連載を、約半年間、週4回、書き続けていました。その連載は「沢田研二の音楽を聴く1980-1985」という一冊の本にまとまることに(日刊現代から好評発売中)。
今回の新連載は「1980」から、時計の針を5年間巻き戻した「1975」に着目するものです。なぜか──。
まずは、今からちょうど50年前=半世紀前だということ。つまり「2025」は、当時の記憶をさかのぼるのに、絶好のタイミングなのです。
ちなみに私は当時、小学3年生。東大阪に住む、歌謡曲と阪神タイガースが大好きな、ちょっと早熟なガキでした。当時のヒット曲や音楽シーンにリアルタイムで接した記憶を、少しずつ披露していこうと思っています。
そして次に、この年は「ニューミュージック元年」だと言えること。
そもそも、今や死語となった「ニューミュージック」とは「戦後生まれの若者による自作自演音楽」ぐらいの意味でして、もう少し具体的にいえば、吉田拓郎、井上陽水、さらに荒井(現・松任谷)由実が作った地盤の上に花開いた音楽ムーブメントなのでした。
この年に関する象徴的な事実は、この年、山下達郎、浜田省吾、中島みゆきがデビュー、さらにはキャロルを解散した矢沢永吉が、ソロデビューしたということ。
つまり拓郎、陽水、ユーミンの「GREAT3」に続けと、達郎・浜省・みゆき・永ちゃんという「BIG4」が、せきを切ったように次々とデビューした年だったのです(ちなみに山下達郎と浜田省吾はバンドとしてのデビュー)。
つまり「1975」は、まさに「ニューミュージック元年」。ニューミュージック、ひいてはJポップにつながる大河の一滴が落とされた年。
そして、この年を取り上げる理由の3つ目は、この日刊ゲンダイが生まれた年だということ。つまり本紙は今年で何と、創刊50周年!
というわけで「1975」はいろいろな意味で、時代の変節点だったのです。さぁ、そんな50年前の音楽シーンへ時間旅行しましょう。ご一緒に。
なお「沢田研二の音楽1980-1985」は週4回掲載でしたが、今回は週5回と強気でいきます。書いて書いて書きまくります。ご期待ください。=この項つづく
▽スージー鈴木(音楽評論家) 1966年、大阪府東大阪市生まれ。早大政治経済学部卒業後、博報堂に入社。在職中から音楽評論家として活動し、10冊超の著作を発表。2021年、55歳になったのを機に同社を早期退職。主な著書に「中森明菜の音楽1982-1991」「〈きゅんメロ〉の法則」「サブカルサラリーマンになろう」など。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。日刊ゲンダイでの好評連載をまとめた最新刊「沢田研二の音楽を聴く1980-1985」が好評発売中。ラジオDJとしても活躍。
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