48歳、乳がん検診の「要精密検査」に衝撃を受けた私、独居暮らし男の孤独死に重なる…誰にも看取られない恐怖【赤羽の女・佐藤百恵48歳】

ミドリマチ 作家・ライター
更新日:2025-06-14 06:00
投稿日:2025-06-14 06:00

【赤羽の女・佐藤百恵48歳】

 板チョコのような重い扉を百恵が開けると、真っ赤な口紅を施したママさんがいつものように明るく出迎えてくれた。

「いらっしゃーい、モモちゃん。いつものでいい?」

 ママさんのおちょぼ口は、深い紅をまとってハートみたい。それは薄暗い店内で灯台のような輝きを放っている。

 百恵はぽっかり空いていたカウンターの真ん中の席に身体をねじ込んだ。

スナックでは「無意味な夜」が更けていく

 すかさず、常連のヤスさんが話しかけてくる。

「モモちゃーん、最近ごぶさただったじゃない」

「仕事が忙しかったんです。ほら、うちの会社ちょっと問題起こして、クレームが殺到して連日処理に追われていたので」

「コールセンターだよね? どこの会社にいるんだっけ?」

「リクルート…スタッフィング」

「すげえーいい会社じゃん。リクルートって何か問題起こしていた?」

 厳密に言うと、問題を起こしたのは派遣先の会社で、百恵が在籍している派遣会社がリクルートスタッフィングというだけだ。しかし、ここは厳密に説明してもどうせ翌朝には忘れる場。面倒なので、できるだけ曖昧に濁す。

「まぁ、それは」

「そんなモモちゃんに、おじさんボトルおごっちゃおうかな」

「え、うれしー。ヤスさん、何があったの?」

「なにもねえよ。おごるのはいつものことだろう」

「(ダービー当てたのよ)」とママの口から小声のつぶやきが漏れた。ヤスさんにはあからさまに聞こえているようだが、とても得意げだ。

「ボトルでもいれるか? 出すよ」

「やったぁー。大好き、ヤスさん」

 そして、今日も無意味な夜が更けていくのだった。

ここでは48歳でも「最年少」になれる

 赤羽・スズラン通りのはずれにあるスナック『毎々』に集まる常連さん達は48歳の百恵よりもみな年上で、彼女が生活圏内で唯一年少者として扱われる場所である。

 皆そもそもの独りものや、連れ合いを亡くしたりで孤独な人が多いだけに、クセは強いがあたたかく、いつ行っても、間が空いても、妹のように受け入れてくれる。

 九州に住む両親とほぼ絶縁状態な百恵の実家のような場所だ。

あれから20年。ヤスさんも来年還暦になる

 ここにたどり着いたのは、20年前。百恵がつかず離れずだった恋人のような男と、完全に離れること決意した夜だった。

 度重なる相手の浮気――恋人と認め合ってはいなかったから、厳密に言うと浮気ではないのかもしれない。だけど、時には愛し、時には殺したいと思うような、そんな疲弊した彼への感情に終止符を打つべく、クリスマスの夜、彼に繋がるすべての連絡手段を消した。

 感情の行き場を失い、途方に暮れていた夜。吉野家のカウンターでひとり泣いていると、ヤスさんにナンパされた。そしてここに連れてこられた。

 ヤスさんには当時入院中の奥さんがいて、自称『下心は特になく、とにかくかわいそうだったから』連れてきてくれたという。

「…そっか、あれから20年。俺ら全く変わんねえな」

 ヤスさんは来年還暦である。百恵もあと干支が一回りすると今のヤスさんと同じ年になる。

何度も死を願った男の「死亡通知状」

『毎々』でいつものように時間を潰し、百恵が自宅アパートにたどり着いたのは日付が変わった頃であった。

 ほろ酔いの多幸感に浸りながら、レターボックスを覗き、部屋に入るいつものルーティーン。入っていたのは、不用品回収、くもん教室、マンションのチラシ。いつもの如く丸めてゴミ箱に捨てようとすると、固い違和感に気づく。

 ハガキが一枚あった。

 死亡通知状だ。グレーの背景を背負って、昔、何度もその死を願った男の名前がそこに書いてあった。

『夫・大野壮一儀 かねてより肝臓がんで療養中のところ、養生相叶わず4月30日 50歳にて永眠いたしました』

 差出人は、彼と同じ苗字の知らない女の名前だった。20年も会っていないのだ、結婚も病気も死にもするだろう。

 ただ、50という数字、そして、自分もついに知り合いの訃報が来る人生のターンになったことを百恵は実感する。

 百恵は、上京してはじめて住んだこの街・赤羽に今も暮らしている。

 就職、結婚、出産。その時々のライフステージに百恵はずっとあぶれてきた。赤羽は、そんな百恵にも居場所を与えてくれる。最近は、若い人がテレビや漫画を見て物見遊山でやってきて、観光地のようになってしまったけれど。

彼の死をきっかけに集う、かつての仲間たち

 故人の住所は世田谷区だった。あの頃、死んでも赤羽を離れないって言っていたクセに、彼は赤羽からはるかな場所で死んでしまった。

 ふと、スマホに2件の留守電があったことに気づく。おそらく同じタイミングでハガキが来たのだろう。こちらも20年近く会っていない大学時代の友人たちだった。

『ハガキ、来た?』

 探るような問いかけをしてきたのは、美鈴だ。彼女は、私の記憶から状況が更新されていなければ、2人の子持ちの専業主婦。

『壮一の訃報のハガキを見ました。大学の仲間で線香をあげに行きませんか?』

 具体的に簡潔な連絡だったのは、詩織。彼女は大企業に就職したことをきっかけに、連絡はとっていない。

 百恵はSMSで返答をし、さっそくLINEグループを作った。子どものアイコンとビールのアイコン、名乗らずともどれがどっちだか把握できるのが可笑しかった。

20年ぶりの友達にどう映っているのだろう? 

 その日は、雨の代田橋駅で、待ち合わせをすることになった。

 比較的落ち着いた色のセットアップで百恵は時間から少し遅れて現れると、喪服のふたりが駅に立っていた。

「やっときた」

「いつぶりだっけ?」

「20年くらい?」

「相変わらずだね」と、詩織が言った。百恵はその言葉が自分が喪服ではないことの指摘だと察したが、嫌な気分はしなかった。かつての彼女なら、会うなり嫌味を言っていたはずだから。

 20年の成長を実感する。

 美鈴もそう。笑顔で出迎えてくれた時の、目尻に刻まれた皺やほうれい線の濃さが、空白だった時間を感じさせる。

 私はどう彼女たちに映っているのだろう? 

 時間と環境が作った薄い壁を感じながら、私たちは訃報に記載の住所へと足を運んだ。

ミドリマチ
記事一覧
作家・ライター
静岡県生まれ。大手損害保険会社勤務を経て作家業に転身。女子SPA!、文春オンライン、東京カレンダーwebなどに小説や記事を寄稿する。
好きな作家は林真理子、西村賢太、花村萬月など。休日は中央線沿線を徘徊している。

関連キーワード

ライフスタイル 新着一覧


占い好きな成功者と占い好きな非成功者の違い…占いライターで一攫千金も
 コミックや書籍など数々の表紙デザインを手がけてきた元・装丁デザイナーの山口明さん(63)。多忙な現役時代を経て、56歳...
豊洲の人生勝ち組妻でも幸せじゃない?彼女が裕福と引き換えに諦めた事
 独身時代は都心に暮らしていたが、結婚を機に武蔵境に暮らし始めた千佳。しかし、郊外のこの地を愛せない。そんな時、中学の同...
「夫の駐在時にね…」なぜあのコが?田舎の同級生“玉の輿婚”に心ざわつく
 独身時代は都心に暮らし、華やかな生活をしていた千佳。しかし、結婚を機に都内から離れ、武蔵境に住み始めた。しかし、妥協し...
メガバン妻が悟ったリーマンの限界値 吉祥寺より2駅下った中古マンション
 武蔵野の自然を携えそびえる瀟洒な白亜の建物は、まるでこの場所がヨーロッパの一都市であるかのような錯覚を与えてくれる。 ...
帰ったらお風呂に…夫「沸いてるよ!子供が入ってる」危機管理能力ゼロや
 子育て中のママにとって、子供の命と健康を守るのは一番大切な使命。だからこそ、危機管理能力は嫌でも高くなります。 ...
号泣しながら「愛の讃歌」を熱唱 なぜ人はスナックでダサい姿を晒すのか
 私はこれまで多くの夜の世界を見てきましたが、スナックは本当に不思議な場所です。  完全無欠のモテ人間ほど、なぜか...
大人は「さようなら」とハッキリ言わないけど…
 北海道で暮らす、まん丸で真っ白な小さな鳥「シマエナガちゃん」。動物写真家の小原玲さんが撮影した可愛くて凛々しいシマエナ...
春の行楽、御朱印集めはスタンプラリーと何が違う? 作法やタブーとは
 山形県東部にある山寺(山形市)で自らの行いについて考える出来事がありました。我よ、御朱印集めがスタンプラリーと化してい...
この勇姿もあとわずか…去勢手術予定“たまたま”を記念撮影!
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
「クリスマスローズ」で究極のほっぽらかし園芸!怠け者でも花いっぱい♡
 猫店長「さぶ」率いる我が花屋のある神奈川は地球温暖化の影響もあり、ここ近年の特徴は卒業式に桜咲くでしたが、今年は入学式...
人は「趣味が合わない相手」と恋に落ちることがある
 北海道で暮らす、まん丸で真っ白な小さな鳥「シマエナガちゃん」。動物写真家の小原玲さんが撮影した可愛くて凛々しいシマエナ...
結婚、出産、身分の違い…仲良かった友達に会いたくないのはダメな感情?
 学生時代を毎日一緒に過ごした親友。でも、年齢を重ねるに連れて「あんなに仲が良かった友達なのに、今ではもう会いたくない」...
かわいい“たまたま”が大集合!夕暮れの集会の議題はなあに?
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
立ち止まっていても時間が進むのなら…
 立ち止まっていても時間が進むのなら、いっそのこと急がなくても良いのかも。  人は人、自分は自分。
「委ねる」は読めるかも? 「委しい、委せる」はなんて読むのかな
 知っているようで意外と知らない「ことば」ってたくさんありますよね。「女ことば」では、女性にまつわる漢字や熟語、表現、地...
仕事帰り、ぶつかりおじさんのちかん被害に遭遇!?  私はどう対処すれば…
 先日、電車の中で「ぶつかりおじさん」に遭遇し、周囲に分からないような形で身体を触られました。あの時、自分はどんな対応を...