参政党さや議員はバブル崩壊後の青短女子OG 小中高は公立、就職氷河期の荒波に揉まれて…
【続・あの有名人の意外な学歴 】#2
さや(参議院議員)
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50代以上の世代にとって青山学院女子短期大(通称「青短」)のOGで真っ先に名前が挙がるのはトレンディー女優として一世を風靡した山口智子(60)。男性のみならず女性からも絶大な支持を受け、「高視聴率女王」の称号をほしいままにした。
「山口さんが在学した80年代は良くも悪くも青短がもっとも華やかなりし時代だった」と振り返るのは青山学院校友会の代議員。当時、夕方になると正門前の青山通りは高級車がずらっと並ぶ光景が恒例となっていた。親から買ってもらったクルマで慶応や東大の金満男子が青短女子を迎えにくるのである。
もちろん本人がそうだというわけではないが、山口智子はバブリーな青短の象徴的存在だった。しかし今、青短を体現する代表格は参政党のさや参院議員(塩入清香、43)だろう。山口の18年後輩ということになるが、前出の校友会代議員は「その間に青短はすっかり変わった」と嘆息する。90年代にバブルがはじけるのに合わせるように、青短はみるみる輝きを失っていった。青山通りに並ぶクルマの数も瞬く間に減っていったのである。
横浜市港南区に生まれ育ったさや氏は小中高と地元の公立校で学んだ。彼女が通った神奈川県立横浜日野高校の7年先輩には立憲民主党の小山千帆衆院議員がいる。なお、同校はさや氏の卒業後、野庭高校と統合し、横浜南陵高校と名前を変えている。
2001年、青短の英文学科に入学したさや氏。かつて女子受験生の憧れの的だった青短もすでにその頃にはかつてほどの人気はなかった。「4年制大学を目指す女性が増え、短大に勢いがなくなりつつあった時期」と大手予備校幹部は話す。
せっかく青短に入っても、バラ色の未来は見通せなくなっていた。「短大に限らず、この頃の学生はとりわけ不遇をかこった」と証言するのは理事会の役員も務めた青山学院大の元教授。さや氏はまさに就職氷河期世代だった。90年代前半から続く氷河期は新世紀に入る前後にITバブル崩壊が起こり、さらに状況は悪化。さや氏が卒業する03年の大卒の就職率は55.1%と過去最低を更新していた。さや氏を知るテレビ局関係者は「当初は就職を希望していたようだが、非正規雇用を余儀なくされた」という。
さや氏は卒業後、演歌歌手としてデビュー。その後、ジャズシンガーに転身すると、まもなく保守系メディアにも登場するようになる。「彼女にとってプラスになったかどうかはともかく、青短卒業の肩書は付いてまわった」と話すのは前出のテレビ局関係者だ。
ただ今後、青短卒業の経歴はあまり大きな意味を持たなくなるかもしれない。19年度から募集を停止。3年前には在学生が一人もいなくなり、完全閉校した。「しばらくすれば、青短の名は忘れ去られる運命にあるのだろう」と語る60代のOGはどこか寂しげだった。
(田中幾太郎/ジャーナリスト)
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