江角マキコ芸能界引退から7年、初めてデビュー作を語る(後編)父を亡くした喪失感を「ゆみ子」に重ね合わせた

更新日:2024-08-07 07:00
投稿日:2024-08-07 07:00
 芸能界から引退している江角マキコさんが、7年ぶりとなるインタビュー取材に応じた。目的は、石川県輪島市を支援するために特別上映される作品の応援。「今もつらい思いをされている能登の人たちに、微力でも役立てるのなら」と感謝の気持ちを語った。

篠山紀信事務所で行われた面談で断るつもりだった

【前編はこちら

  ◇  ◇  ◇

 もともと江角さんは映画「幻の光」の主人公「ゆみ子」の役を受けるつもりがなかったという。

 当時はモデル事務所の所属で、ファッション関係のスチール写真やCM撮影の仕事をこなす日々。女優とはフィールドが違う。「モデルの自分が入っていくのは失礼だ」と感じていた。

 何度か仕事を共にした写真家・篠山紀信さんの事務所で、プロデューサーの合津さんと是枝監督と面談することになったが、当日は断るつもりで家を出た。

高さ10cmのハイヒールを履いて…

「おそらく合津さんと是枝さんはだれにも知られていない新人を探されていて、篠山さんが私を推薦してくださったのですが、若気の至りですね、最初はお断りしたんです。当時は私なりにプライドを持ってモデルの仕事をしていました。それでもまだ何もつかみきれていない。そんな状態の私が片手間で女優をやるなんて、とんでもないことです。

 その日は普段は履きもしないヒールが10センチぐらいあるパンプスでみなさんの前に立ち、『こんなに背が高いモデルです。演技なんてできないです』って伝えたんです。それでも別れ際に『とにかく1回読んでみてよ』と原作本を渡されて。持ち帰って読ませていただいたら、喪失の話だったんです、主人公の女性の…。これなら私、できるかもって感じました」

私生活で父を亡くした喪失感と空虚感

 兵庫県尼崎市のアパートで幼馴染の夫と3カ月になる息子と暮らしていた「ゆみ子」は、ある日突然、人生の支えを失う。夫が自殺したのだ。まったく原因が思い当たらず、喪失感に苛まされるヒロインは、再婚相手と能登で暮らしながら少しずつ前に歩き始める。その姿に江角さんは共感を覚えた。

「私も、その10年ぐらい前に父をがんで亡くしていました。父はまだ36歳でした。私は16歳の多感な時期で、父のことも大好きでしたから、その後も引きずったんですね。10年経っても空虚感は生々しく残っていて、まるで父が最初からいなかったかのように周囲から忘れられていく恐ろしさも感じていました。亡くなった直後とはまた違う、風化していく怖さがあったんです。

 それで日々、父に話しかけました。ちょうど500円が紙幣から硬貨に変わった頃だったので、『お父さん、今は500円玉っていうのが世の中に出回っているんだよ』って報告したり。そんな経験をしていたから、『ゆみ子』をやれるような気がしますって、お返事しました」

能登の方々は静かに見守ってくれた

 撮影中は、ゆみ子と自分の喪失感を重ね合わせることを心がけた。子役とも密にコミュニケーションを取り、5歳の男の子の母親であることを自身の体に染みさせようと必死だった。

「そうやって自分を追い込んでいると、能登の風景や板張りの床の鈍い輝きが、私を心地よく包んでくれたんです。朝市によせていただいた時も、輪島の方々は静かに見守ってくださった。女優になれてなかった私は、輪島のみなさんが作ってくださる空気に助けられて、『ゆみ子』になろうとする気持ちを維持できたんだと思います」

理不尽に失われる命、自然の計らいがもたらすもの

 江角さんはまた39歳の時に弟も亡くしている。父と同じ病いで、享年も36歳と同じ。年齢の順番ではない死がもたらす絶望感を味わった。

「能登の人たちも、震災で250人以上の方が亡くなったと聞いていますし、関連死を含めるともっと多くの命が理不尽に失われています。だれもが喪失感や虚無感を覚え、口にできないほどの深い悲しみの中におられると思うんです。そうした方たちに比べれば、ほんのわずかではありますが、私もつらい経験をしました。

 でも、そこから一歩前に踏み出せるようになるきっかけって、本当に些細な偶然だったりするんです。ある日の美しい夕焼けや、強い向かい風の中を必死に自転車を漕いでいる時に、『あ、私、生きなきゃ』って思えるようになる。自然の計らいで、気持ちの切り替えができるんです。

ただ歩くだけでもいい

 これって能登の人たちだけじゃなくて、みなさんに当てはまるはず。思うようにならないつらさやご苦労で気持ちがネガティブになり、なんでもかんでも悪い方に考えてしまう。そんな時は、ただ歩くだけでもいいんです。前を向いて歩いている時は絶対に悪いことを考えません。『歩行禅』って言葉もあるそうですが、私は自然にそれを実践し、歩くだけで癒されていました。ささやかな日常に喜びを感じ、生きていることを実感できたんです」

人間は普遍的な美しさを感じる生き物

 本作では、能登の海や山を背景にした美しい映像とともに、人々の日常が丹念に描かれている。それが海外でも評価され、ヴェネチア国際映画祭での金のオゼッラ賞受賞(撮影に対して)につながった。

「この作品が海の向こうまで届いたのは、言葉による表現ではなかったからだと思います。私たちの心象を表した風景が、言語の壁を超えて外国の方にも伝わったのです。水を張った田んぼに映る白い雲とか、トンネルの向こうの光とか、心にジーンと染み渡るような映像に、人間は普遍的な美しさを感じるもの。それは決して強いメッセージではないですし、直接的な援助や励ましとも違いますが、今まさに苦しんでいる人たちにとって、再び立ち上がるきっかけになるかもしれない。私はそう信じています」

 地震による隆起によって能登の海岸線は少し変わったというが、スクリーンに映し出される自然はあくまでも美しい。女優としての第一歩を踏み出した江角さんが鮮烈な印象を放つ作品でもある。

 1995年の公開当時に映画館まで足を運んだ映画ファンにも、是非、もう一度観てほしいものだ。

(取材・文=二口隆光)

◇江角マキコ(ゆみ子役)プロフィール

 元俳優。島根県出身。1988年からファッションモデルとして活動、その後、俳優業を始める。1995年に本作『幻の光』で俳優デビュー、数々の映画賞で新人賞を受賞した。鈴木清順監督『ピストルオペラ』(2001)で主演を務め、映画『命』(同)では第26回日本アカデミー賞主演女優賞、代表作にドラマ「ショムニ」シリーズなどがある。06年、バラエティ番組「グータンヌーボ」でMCを務めるなど、バラエティやCMでも活躍した。17年、芸能界を引退。

◇能登半島地震 輪島支援 特別上映
映画「幻の光」(製作・配給:テレビマンユニオン)

 8月2日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて、デジタルリマスター版での限定上映。同館を皮きりに順次全国30館にて公開予定。

関連キーワード

ライフスタイル 新着一覧


おすそ分けが楽しみにゃん♡ 猫島の港で漁師さんを待つご機嫌“たまたま”
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
レズビアンバーを初体験! 接客、ショータイムにドキドキ…そこは「秘密の楽園」だった
 レズビアンバー。名前は聞いたことがあっても、足を踏み入れたことがある人は、少ないのではないでしょうか。  店内ではど...
40女「神戸マラソン2024」走ったで!ランナーのポイ捨て、アカンやろ…
 11月17日に行われた「神戸マラソン2024」に参加してきました! 倍率2倍をくぐりぬけ、今回で3回目の出走です。
生きた化石のイチョウをかわいく楽しむ! 花屋が教えるイチョウの葉を使った簡単フラワーデザイン
 猫店長「サブ」率いる我がお花屋は、神奈川県の片田舎にあります。今時分から年末にかけて、配達途中にちょっぴり遠回りを...
女性の「更年期と老化の受け止め」に3パターン。休むのはわがまま? 更年期休暇も求む!
 女性なら誰でも通る茨の道、更年期。今、まさに更年期障害進行形の小林久乃さんが、自らの身に起きた症状や、40代から始まっ...
【備蓄の日】うまっ…!無印良品級の「レトルト専門店」でごちそうを見つけた♪ ストックしたいオススメ3つ
 東京都では、11月19日を「備蓄の日」としているそうです。「1年に1度は、びち(1)く(9)の確認」なのでこの機会に保...
「乾燥対策」に使うべきベスト・オブ・アロマオイルは?【フェロモンジャッジ調香師が解説】
 女性ホルモンのバランスがよく、フェロモンが溢れる女性の共通点に「肌のみずみずしさとツヤ」があります。これは、体の内側か...
「やば、出ちゃった…」の強い味方!『吸水ショーツ』日仏対決。実際の履き心地、吸水させてみたら…
 話題のコスメや、広告でよく見かける化粧品や日用品。「webでよく見るあの商品、本当にイイの?」「買ってみたいけれど、口...
芸術の秋、散歩の秋!「緑と道の美術展 in黒川2024」の楽しみ方
 今年で9回目となる野外で楽しむ美術展覧会「黒川黒山アートプロジェクト 緑と道の美術展 in黒川2024」が開催中です(...
Z世代界隈に多い!? 「静かな退職」を選ぶ心理と、先輩として上手な接し方
「仕事には熱を持って取り組むべし!」アラフォー世代以降はこのように思っている人が多いですよね。その一方で、Z世代の若者は...
ひろゆき氏に言いたい! 48歳まで処女だった私は、本当に魅力がなかったのか?
 パートナーなしの50歳独女ライター、mirae.(みれ)です。48歳で処女を卒業し、現在はフリーで自分の時間を楽しんで...
3年ぶりのご登場! 超個性的なうし柄“たまたま”は今日も元気です
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
「姿」の部首は何? イメージにとらわれてはダメ
 知っているようで意外と知らない「ことば」ってたくさんありますよね。「校閲婦人と学ぶ!意外と知らない女ことば」では、女性...
週末だ、包丁も火も使わん!正義の炭水化物“爆速レシピ”5選【爆速レシピクリエイター・およねさんの自信作】
 SNSで話題の「爆速レシピクリエイター」およねさんが考案する《ひとり分の分量で》《最小限の工程で》《最低限の洗い物で》...
打倒、借りパク民!「貸したもの返して」催促LINEの“角が立たない”お手本はこれだよ~
 人に貸したものを返してくれなかった時、催促するのは気まずいと感じる人が多いですよね。  どうしたら角が立たない伝...
げっ困った! 超苦手なカラオケに誘われたら…場の空気を壊さずに切り抜ける方法
 冬が近づいてきて、そろそろ忘年会のシーズン。忘年会の二次会といえば、カラオケが定番ですよね。でも、「カラオケ、苦手だか...