【赤羽の女・佐藤百恵48歳 #1】
板チョコのような重い扉を百恵が開けると、真っ赤な口紅を施したママさんがいつものように明るく出迎えてくれた。
「いらっしゃーい、モモちゃん。いつものでいい?」
ママさんのおちょぼ口は、深い紅をまとってハートみたい。それは薄暗い店内で灯台のような輝きを放っている。
百恵はぽっかり空いていたカウンターの真ん中の席に身体をねじ込んだ。
今日も無意味な夜が更けていく
すかさず、常連のヤスさんが話しかけてくる。
「モモちゃーん、最近ごぶさただったじゃない」
「仕事が忙しかったんです。ほら、うちの会社ちょっと問題起こして、クレームが殺到して連日処理に追われていたので」
「コールセンターだよね? どこの会社にいるんだっけ?」
「リクルート…スタッフィング」
「すげえーいい会社じゃん。リクルートって何か問題起こしていた?」
厳密に言うと、問題を起こしたのは派遣先の会社で、百恵が在籍している派遣会社がリクルートスタッフィングというだけだ。しかし、ここは厳密に説明してもどうせ翌朝には忘れる場。面倒なので、できるだけ曖昧に濁す。
「まぁ、それは」
「そんなモモちゃんに、おじさんボトルおごっちゃおうかな」
「え、うれしー。ヤスさん、何があったの?」
「なにもねえよ。おごるのはいつものことだろう」
「(ダービー当てたのよ)」、とママの口から小声のつぶやきが漏れた。ヤスさんにはあからさまに聞こえているようだが、とても得意げだ。
「ボトルでもいれるか? 出すよ」
「やったぁー。大好き、ヤスさん」
そして、今日も無意味な夜が更けていくのだった。
スナックでは48歳でも「最年少」になれる
赤羽・スズラン通りのはずれにあるスナック『毎々』に集まる常連さん達は48歳の百恵よりもみな年上で、彼女が生活圏内で唯一年少者として扱われる場所である。
皆そもそもの独りものや、連れ合いを亡くしたりで孤独な人が多いだけに、クセは強いがあたたかく、いつ行っても、間が空いても、妹のように受け入れてくれる。
九州に住む両親とほぼ絶縁状態な百恵の実家のような場所だ。
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