“名門小学校”から渋幕に進んだ秀才・田中圭が東大受験をしなかったワケ 教育熱心な母の影響
【あの有名人の意外な学歴】#2
田中圭(俳優/40歳)
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この四半世紀でもっとも躍進した中高一貫校といえば、「渋谷教育学園幕張」(千葉市、通称「渋幕」)だろう。14年連続で東大合格者数トップ10入り。高校は1983年、中学は86年に開校と歴史は浅いが、今や押しも押されもせぬ超進学校に成長した。創立者の田村哲夫学園長・理事長が、自身の母校である男子校の麻布中学・高校をイメージ。「麻布の共学版をつくる」と意気込んで育て上げた。
渋幕出身の有名人で真っ先に名前が挙がるのは日本テレビアナウンサーの水卜麻美(38)。そしてその3年先輩には永野芽郁(25)との不倫騒動の渦中にある俳優の田中圭(40)がいる。
田中が5歳の時、妹を病気で亡くし、8歳の時、両親は離婚した。彼の人生は息子を溺愛した母の影響を強く受けている。圭少年が通った東京・中央区の久松小学校は公立ながら名門として知られていた。
「千代田区の番町小学校や大田区の田園調布小学校と並び人気が高く、区外からの越境入学も目立つ。当然ながら、子ども自身が決めるのではなく、将来の中学受験を視野に入れた親の意向によるものです」(大手学習塾講師)
小学生時代はバスケットボールに熱中。クラブチームに入り、全国大会にも出場した。高学年になると、多忙の日々を送ることになる。バスケットを続けながら、母に勧められるままに受験勉強も始めたからだ。8時間近く机に向かう日もめずらしくなかった。97年、渋幕中学に合格した。「年間の東大合格者数はまだ1桁でしたが、有名大学にコンスタントに入るようになり、注目を集めていた」と塾講師は振り返る。当時を知る元教員は次のように話す。
「渋幕を率いる田村先生はどうすれば優秀な生徒を集められるかを熟知していた。東大への合格の道筋を見せるのが一番の宣伝になる。すぐにトップ10入りは無理でも、合格者数を徐々に増やしていくことで信頼を勝ち取っていったんです」
渋幕に入学した田中も当初、東大を意識していたようだ。「バラエティー番組で『東大を目指していた』と本人の口から明かされた」と芸能記者。しかし、そのプランはすぐに崩れる。成績がさっぱり上がらなかったのだ。「合格して燃え尽き症候群のようになり、勉強する気が起こらなくなってしまう子どもは少なくない」(塾講師)という。学校ではバスケットボール部に入ったが、中学3年の時、靱帯を痛め、続けられなくなった。
絶望に打ちひしがれる中、新たな道を切り開いたのはやはり母だった。映画「死者の学園祭」の主演・深田恭子の相手役を決めるオーディションに応募したのである。母に言われるがままに現場に行くと、最終選考まで残った。結局、落選したものの、審査員からスカウトされ芸能界入りすることになった。
まもなく任天堂のCMに起用され、ドラマ「WATER BOYS」で主人公の親友役に抜擢されると後はとんとん拍子だった。まさに母の先見の明が導いた成功だった。その母も、18年1月に他界。65歳の若さだった。
(田中幾太郎/ジャーナリスト)
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