【高円寺の女・浜口沙恵32歳 #1】
この街は、まるでネバーランドだ。
いつもの店に行くと、いつもの仲間がいて、相変わらずのバカな話で盛り上がれる。
タバコと酒を生き甲斐とした、少年の心を持った人間たちが笑顔で過ごせるここは楽園。
それは、私がこの街に初めて足を踏み入れた12年前から、全く変わらない世界で――。
高円寺・深夜0時。
ライブ終わりに暖簾をくぐると、ヤツらが今日も奥の指定席に陣取っていた。
「沙恵ちゃんじゃない。今日ライブだったんでしょ? どうだった」
「ふつー。知り合いのイベントで一曲うたっただけだし」
沙恵ちゃん、というのは私。浜口沙恵。
ちゃん呼びされて、後輩女子みたいな扱いをされているが、現在32歳だ。
深夜に安酒をあおる、高円寺の面々
「ま、ともかくお疲れさん!」
ハイボール大ジョッキを掲げて乾杯の音頭をとるのは、39歳でギター弾きのナベさん。同じ音楽関係だが、出会いは仕事現場ではなく、ここ高円寺の飲み屋である。
ともに卓を囲むのは、芸人さんのたかぴーとユウくんだ。彼らの年齢は知らないが、私より年上だと聞いた。
今晩はたまたまこのメンツだが、他にも入れ代わり立ち代わり、別の芸人さんとか、音楽関係とか、役者さんとか、さまざまなメンツがこの店に集まってくる。
最長老は多分、志島さん。年齢不詳で何をしているかわからない人だけど、JRをいまだ国鉄というくらいだから60は過ぎているだろう。ベビーフェイスが溶けたような顔の謎おじさんで、いつもカウンターに陣取り私たちを見守っている。今日も、そう。
みんな30をゆうに超えているが、0時以降もこうやって安酒をフラフラ飲んでいることから、それぞれの置かれている状況は察してほしい。
燻(くすぶ)り合うもの同士の暗黙のルール
「たかぴー、この前、テレビ見たよ。深夜のネタ番組」
私は席に座るなり、たかぴーに声をかけた。彼は、恥ずかしそうにボウズ頭をかく。
「あざっす。激スベリだったんで、いっそカットしてほしかったんすけどね」
「えー、おもしろかったのにー」
確かに激スベリと表現するだけあって、正直微妙なネタだった。
だが、言われて嫌なことは他人にも言わないのが、燻(くすぶ)り合うもの同士のルールである。
たまに酒が進んだ時、自分のことを棚に上げた誰かから「だからお前たちはダメなんだ」と説教をされることはあるけど、まあそれは酒の席での無礼講だ。
自分たちがダメなことは言われなくても十分わかっている。だから、何も響かない。
それでもこの街は、いつまでもそんな私たちをまるごと包み込んでくれる優しさがあるのだ。
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