【その2】“独自路線”ゆえのジレンマ
グループの“独自路線”にいたっては、欅坂46は秋元系に限らず、女性アイドル、いや男性アイドルも含め、既存のアイドル像を覆しアーティスティックな路線に傾倒していった。
欅坂46の曲の主人公は大人に、社会に、反抗的なメッセージを突きつけた。ときに、孤独や絶望を憂い、悲鳴を上げ、もろさをさらけ出してきた。
今までになかったそのスタイルに多くの若者が共感した。同じ気持ちで寄り添ってくれるような、一緒に闘ってくれるような存在に感じられたからだろう。
だが発信する側は、繰り返すが、素人同然の10代を中心とした女の子たちの寄せ集めだった。大人によって書かれた、大人や社会への反抗ソングを、14歳だったセンター平手を中心に一枚岩で、魂を削りながら表現してきた。
激しいメッセージソングにふさわしいようパフォーマンスもどんどん高度で身体への負担も大きいものになっていった。彼女たちはエネルギーを放出する一方だった。
デビューから一貫して1期生が表題曲を担当
そして先輩グループが2期生、3期生を加え、表題曲ごとにメンバーの交代が起こる選抜制度を取りながらブレークへ歩んでいったのに対し、欅坂46はデビューから4年間、表題曲は1期生のみで担当し続け、休む間が無かった。
加えていきなりの大ブレークによって世間の注目、期待というプレッシャーを浴び続ける一方で、突然人気者となった異端児はアンチのターゲットにもなりやすかった。
筆者はこれまで、平手の脱退、長濱の卒業についてはそうした要因が重なって心身の限界が原因であろうと考察してきた。平手は明らかに心身共に満身創痍であったし、長濱は自身の卒業イベントで“放電し続け空っぽになった”、“人前に出ることから距離を置きたい”という旨を発言していた。
休業に入った佐藤も慢性的に足のケガを患っていた。また鈴本も卒業にあたって“パフォーマンスすることにおいて、心と体が追いつかなくなった”と自身のブログで正直に打ち明けている。
燃え尽き症候群の可能性
以上の“スピード出世”と“独自路線”、2つの観点を総合的に加味すると、欅坂46の多くの1期生はある種、燃え尽き症候群に近いものを抱えてしまったのではないかと推察する。
デビューから全力で駆け抜け、紅白、ミリオン、東京ドームと次々と偉業を達成した。日本レコード大賞も大賞受賞こそならなかったが、デビュー翌年から3年連続「優秀作品賞」を受賞。他にも多くの賞も受賞した。
もし彼女たちがまだブレイクできていない段階なら、同じくらい心身がきつくても、あるいは別のやりたい道を見つけても、「まだアイドルとして成し遂げていないものがある」、と思いとどまったかもしれない。
もし長い下積みを経てやっとつかんだ成功なら、その成功をしばらくは離したくないと思ったかもしれない。
欅坂46の1期生はそのどちらにも当てはまらない。アイドルとしてほとんどのことは達成してしまった中、「もうここまで頑張ったから、次へ進もう」と気持ちが向くのも自然なことだろう。
長濱は前述の卒業イベントでも欅坂46冠番組内でも“すべてやり切って、ひとつの後悔もありません”とも話していた。
また、昨年1年を通じて当時加入したてだった2期生もライブや歌番組で十分、欅坂46の戦力となりうるまでに成長した。平手たちはそうなるように卒業、脱退前に全力で2期生に伝えられることを継承した。
エンタメ 新着一覧