更新日:2023-10-30 09:10
投稿日:2023-10-29 06:00

「魔女の宅急便」に憧れた小学生

 ナウシカもラピュタもトトロも、空を自由に飛び回っていた。ジブリ映画を観ると、それはちっとも不思議なことではなく、自分にもできそうとすら思えてくる。

 小学生の頃「魔女の宅急便」を観たクラスメイトが、箒にまたがってベランダから飛び降り、足の骨を折るという事件が起きた。

 決してその子がアホだったのではない。本人は空に飛び立ったつもりだ。私にはその気持ちが、わかりすぎるくらいわかったのである。

私のそばにはくーちゃんがいる

 今の私はあの頃と違う。

 大人になったから夢を見なくなった、ということではない。むしろあの頃より、できる気がするのだ。

 なにしろキキの傍らにいたジジのように、私のそばにはくーちゃんがいる。

 いつの日か、特別な猫と出会えるような気がしていた。縁があって引き取ったのが、ジジと同じ黒猫だなんて、偶然とは思えない。

 ストリッパーとしてデビューして3年半、1日4回、10日で40回のステージをこなし、おそらくキキの宅配と同等かそれ以上の修行は積んでいるはずだ。

 体重だって、パンパンに太っていた思春期よりよっぽど軽い。

キキのコスプレ、憧れは未だ色褪せない

 あれから30年経っても、いまだにストリップのステージでキキのコスプレをするほど「魔女の宅急便」に憧れている。

 さすがに箒1本で飛べるとは思わないが、ステージでブリッジをして、片足を上げたままふわりと身体を反転させることくらいはできるのではないか。

 それは空を飛ぶよりよっぽど現実的で、ステージ映えもする。

 ダンス練習のために訪れたスタジオで、両手の平にペッペッと唾を飛ばし、立ったまま後ろに反って両手の平で着地。それから、ぐーっと体重を手に移動させて、右足を天高く上げる。ここまではもう、手慣れたものだ。

 あとは左手を一瞬、床から離して――。

 理論上は、成功するはずだった。計算外だったのは、足の裏に唾をペッペッし忘れたため、片手になった瞬間、バナナの皮を踏んだかのように、見事に足が滑ったことである。

まごうことなき骨折

 強い右肩の痛みとともに、天啓が舞い降りた。これが骨折だ。今まで幾度となく折れた折れたと大騒ぎしてきたが、今回は嘘じゃない。

 なにしろ落ちた瞬間、ボキッて音がしたのだから。

 スタジオの終了時刻まであと僅かだった。ドアの外では次の利用者が待っている。急いで荷物をまとめて退出し、近くの整形外科に駆け込んだ。

「たぶん、折れていると思うんですけど」

 この言葉を口にしたのは何度目だろう。午前の受付時間は終わったとのことで、2時間ほど喫茶店で時間を潰すことにした。

 骨が折れても腹は減り、ミックスサンドとプリンアラモードを平らげる。ようやくレントゲンを撮る頃には、カルシウムのために牛乳を買って帰らねば、などと考えていた。

新井見枝香
記事一覧
元書店員・エッセイスト・踊り子
1980年、東京都生まれ。書店員として文芸書の魅力を伝えるイベントを積極的に行い、芥川賞・直木賞と同日に発表される、一人選考の「新井賞」は読書家たちの注目の的に。著書に「本屋の新井」、「この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ」、「胃が合うふたり」(千早茜と共著)ほか。23年1月発売の新著「きれいな言葉より素直な叫び」は性の屈託が詰まった一冊。

XInstagram

関連キーワード

ライフスタイル 新着一覧


動物は「あったかい場所」を見つける才能があるみたい
 北海道で暮らす、まん丸で真っ白な小さな鳥「シマエナガちゃん」。動物写真家の小原玲さんが撮影した可愛くて凛々しいシマエナ...
私「復縁希望?」女友達「あと2年で吹っ切る」失恋かまってちゃんLINE
 失恋をして心が傷つくと、少しでも誰かに気持ちを聞いてもらいたくなるもの。  でも、あまりにしつこかったり、常識が...
キャンプより安近短なべランピング!楽しむコツ&それでも失敗したエピ
 空前のキャンプブームが到来していますが、やはりイチからキャンプギアを集めてテントを張って…となると、ハードルが高いと感...
見上げた青空が眼に染みて…1日に1回くらいは空を眺めてみる
 青空が眼に染みると思ったら、しばらく空を見上げていなかった自分に気が付いた。  うつむいて歩くのがクセになってい...
「俺のソーセージも試食して」じゃねえ! 40女の成人の日の思い出
 1月8日は成人の日。晴れ着やスーツに身を包んだ新成人たちの姿は、眩しいものです。  成年年齢が18歳に引き下げられま...
これって誘拐ですよね!? 遊んでいたら詰められた恐ろしいご近所トラブル
 ステップファミリー6年目になる占い師ライターtumugiです。私は10代でデキ婚→子ども2人連れて離婚→シングルマザー...
神秘的! 宝石のようなオッドアイの純白“たまたま”に幸福祈願
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
「緑の黒髪」があるなら、白髪の“褒め言葉”は?
 知っているようで意外と知らない「ことば」ってたくさんありますよね。「女ことば」では、女性にまつわる漢字や熟語、表現、地...
日本の美徳すごい!便器に汚物箱…海外で体験した考えられないトイレ事情
 日々の生活に絶対に欠かせないもの、「トイレ」。1日に何度も顔をあわせる存在ですが、実は国によってトイレの形状や使用方法...
2024-02-26 19:03 ライフスタイル
まるで宝探し!話題の木更津コンセプトストアでほっこりした男女の会話
 昨年6月、三井アウトレットパーク木更津(千葉)の隣にオープンした「木更津コンセプトストア」。サステナブルな社会を目指し...
「量と質」どちらを優先するか迷ったら経験値を振り返ろう
 大人になると「量より質」を意識する機会が増えますよね。私の場合、食事に関してはまさにそうなってきた気がします。  そ...
湧き水が心にも沁みてくる 福井県爪割の滝
 北陸地方に甚大な被害をもたらした能登半島地震。  被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。  つらいこ...
貫禄の毛繕い中をパチリ!ありがたいご神体“たまたま”に感謝
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
【2023年人気記事】セックスは嗜好品?子宮頸がんサバイバーの性生活
 2023年は「コクハク」をご覧いただき、誠にありがとうございました。反響の大きかった記事を再掲載します。こちらの記事初...
2024-01-04 06:00 ライフスタイル
近すぎなくていい 毎日は“ゆるい人間関係”に支えられている
 北海道で暮らす、まん丸で真っ白な小さな鳥「シマエナガちゃん」。動物写真家の小原玲さんが撮影した可愛くて凛々しいシマエナ...
【2023年人気記事】吉田沙保里と大久保嘉人は公認? ウロつく女が嫌!
 あけましておめでとうございます。2023年は「コクハク」をご覧いただき、誠にありがとうございました。反響の大きかった記...