最後の最後に、人間が無視できない欲望とは
【vol.39】
先週は、ちょっと真面目にセックス依存と恋愛依存について熱く語ったのですが、そのなかで、ヒッピーの究極体を例に出しました。
いま現在も継承している人が多い、1960年代に既成概念のカウンターカルチャーとして登場したヒッピーたちの理念は、反体制思想で自然を愛し、共同体生活への回帰を共同理念として持つというのが定説です。
そしてその究極のカタチが、川のそばで裸で暮らし、パートナーという概念もなくし、だれが妊娠してもコミュニティーの子供として全員で育てるというコミュニティーでした。そして最初のうちはうまくいっていたそうですが、やはり破綻します。
なぜ破綻したのか。
そのコミュニティーは、人間のひとつの重大な欲を勘定に入れ忘れていたのです。未経験ゾーンの実験的なコミュニティーなわけですから、忘れていたというより、未知の世界だったという方が正しいかもしれません。
最後の最後の欲とは?
最後の最後で無視できない人間の欲……、それが所有欲だったのです。
利他的で自由を愛しフリーセックスを標榜するヒッピーたちの理想のコミュニティーは、自分の恋人と思っていた女性が、突然、自分ではない相手との間に赤ちゃんを授かることがあったりするわけですね。
それについて看過したつもりでいても、相手の男の正体がわかってしまったりすると、そこから綻びが生じ、コミュニティーの破滅につながっていってしまったということのようです。
人間の根源の、所有欲。独占欲と言い換えてもいいかもしれません。モノに対する執着から解放できる人は多いかもしれません。でも人間に対する、異性でも同性でも、特に自分が信頼して愛を捧げて特別だと想っている相手には、やはり同じだけの容積を求めてしまうのは抗えない欲望だったのです。
愛には“いちばん”があります。優先順位をつけない愛というのは、存在し得ません。だからこそ、お互いの所有欲を無視した恋愛は続かないのです。どちらか一方の所有欲を無視し、見過ごし、ケアしなくなった恋愛が破綻するのは自明の理なのです。
相手の所有欲を無視し見て見ぬ振りをし始めたセックス依存と恋愛依存のわたしたち。恋愛依存のわたしがセックス依存になった結果、セックス依存のひろしとわたしがどうなっていくのか。
恋愛依存だったわたしが仮性恋愛依存で、真性セックス依存だったということが真実で、そしてどっからどう見てもセックス依存だったひろしが、真性恋愛依存であったということ。
それを次回、説明させてください……。
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