1期生・渡邉理佐が櫻坂46から卒業
渡邉理佐(23)が今月21日、22日に東京・国立代々木競技場第1体育館で行われた自身の「卒業コンサート」をもって、櫻坂46から卒業した。
前身グループである欅坂46時代を含め、活動約7年で個人単位での「卒業コンサート」が開催されたのは初。2日間で2万4000人を動員し、配信でも多くのファンが渡邉の卒業を見守った。
MCなどでは、後輩である2期生達が口を揃えて「優しい」「憧れ」「尊敬する」と慕う人望の厚さ、苦楽を共にした同期の1期生が「たくさん支えられた」と頼れるたくましさが垣間見られた。
欅坂46デビュー当時は“冷めたクソガキ”
そんな気配りの人となった渡邉だが、櫻坂46冠番組「そこ曲がったら、櫻坂?」(テレビ東京)の最後の出演回では、16年の欅坂46デビューから間もない頃の自身について、「めっちゃ尖ってて」「クソガキみたいな」と回顧している。
たしかに渡邉は、当時在籍していた志田愛佳(23)と2人で、どこか冷めていて一歩引いたような姿勢から「ザ・クール」というコンビ名を付けられていた。
17年の欅坂46冠番組「KEYABINGO! 2」(日本テレビ系)では、「欅坂46を辞める」というドッキリ報告を志田に仕掛ける役目を担った際、渡邉は「1回辞めたい波が来た時、話したじゃん」と実際過去にあったと思われる発言をしたのち、「涙が出てきた」「泣いちゃう」と泣き始め、「辞めたい、辞めよう」と演技とは思えない神妙な面持ちで、渡邉もいつ卒業してもおかしくないという雰囲気を漂わせていた。
「好きなようにいて欲しい」というメッセージ
また、同い年でよく相談しあっていたという長濱ねる(23)が19年7月に卒業する際には、欅坂46冠番組「欅って、書けない?」(テレ東)で「無理せず、我慢せず、そのまま、好きなようにいて欲しいなと思います」とメッセージを送られた渡邉。
他メンバーには、優しくされたり、助けられたエピソードを多く話していた長濱が、渡邉には何か深い意味が込められたような言葉を送ったため、「無理しているのかな、我慢しているのかな」とこれまた不安な気持ちにさせられた。
「頼れるお姉さん」へと成長
しかし、そうした懸念は杞憂だった。グループ活動だけでなく、ファッション誌「non-no」モデルとして個人でも活躍の幅を広げた渡邉は(本人曰く)「クソガキ」から立派な「頼れるお姉さん」的存在に成長していく。
欅坂46後期は、連続センターで心身を消耗していた平手友梨奈(20)を、パフォーマンスでもプライベートでも非常に近い位置で支えていた。「避雷針」や「黒い羊」という平手が孤独を感じやすいような楽曲で、「抱っこ」という形で彼女を受け止め包み込んでいたのが渡邉だった。
また、自身の「卒業コンサート」で1期生から「グループがうまくいかない時も軸になって先頭に立ち続けてくれた」と評された通り、平手・長濱という欅坂46ツートップが抜けて以降、人気面や知名度でエース格となった渡邉は、グループ存続の危機や、改名・再デビューという苦しい時期も、強い責任感で屋台骨となり続けた。
それは、卒業を前に本人が打ち明けたように、「安心して2期生にグループを任せられるようになるまで」との信念から突き動かされていたからだ。
櫻坂46改名後もメンバーの“精神安定剤”に
櫻坂46に改名以降、運営主導で世代交代が推し進められ、2期生が次々とセンターに抜擢されていく中、その横や後ろでそうしたメンバーを支え、グループに安定感をもたらしていた。
櫻坂46が20年12月にデビュー以降、4枚のシングルのBillboard JAPAN週間シングル・セールスはいずれも初動40万枚~45万枚を記録しており、女性アイドルとしてトップクラスを維持している。
これは渡邉をはじめとする1期生の献身的なサポートにより、森田ひかる(20)、山﨑天(16)、藤吉夏鈴(20)、田村保乃(23)といったセンター陣をはじめ、2期生が欅坂46時代とは比較にならないほど自信に満ちた表情でパフォーマンスできるようになったこと、そして何より、欅坂46から櫻坂46になっても渡邉が在籍し続けたことが大きく貢献しているように思う。
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