某CMで石原さとみちゃんがお散歩してました
【vol.18】
浮気疑惑にリアル浮気返しで高校生のような恋愛群像劇を繰り返している最中、12月25日の夜9時に門前仲町の辰巳新道(ぜひググってください)まで到達していたわたしは、ひろしからの鳴り止まない電話に酔っ払って気が大きくなっていたからか、LINEを開いてみました。
するとYES-NOマクラに劣らないぐらいYesかNoかしか言わなかったひろしが、必死でスマホの音声入力を駆使し(きれてないけど、し)て、どうにかわたしにメッセージを送り続けていたのです。
人間は年を取るとできないことが増えてきますが、ひろしは一切それに対してくだらない愚痴を言ったり、フォローが面倒くさい卑屈な姿勢を見せたりすることはありません。
むしろすべてに対し、まずは果敢に飛び込んでみて、Let’s seeからの無理なら興味ない(ふりをする)姿勢を崩すことはありませんでした。
だからこそ、わたしはひろしがやりたいと思ったことはすべて一緒にやりたいと思ったし、同年代の友達と同じ、か、それ以上にアクティブなひろしに対して、どんどん性欲と独占欲が高まっていきました。
ダイビングをしてもひろしの方が30年先輩だし、ゴルフをしてもひろしの方が50年先輩。たとえば、ひろしはそこから逆算してたたき出される実年齢をもって周りから優遇(という名の忖度を)されるより、培ってきた経験と積み重ねてきた年齢はむしろ最上級のステータスだと利用し尽くして、凡人には理解しがたいとてつもない境地にたどり着いていたのです。
そんなひろしを見て、唐突ではありますが、とてつもない境地に立つためには小さなことの積み重ねしかないと思う、と断言した大好きなイチロー選手の言葉が思い起こされます(方向性を見失うドルチェ寿司……)。
ひろしに惹かれたのは自明の理だった
ひろしは年齢で自身を制限することもされることも許しませんが、世間一般のバイアスは「できないであろう」という見地に立って“老人へのそれ相当の対応”を模範的回答として身につけて大人になっていきます。
そんななか、たまたま(?)その対応を身につけていなかったわたしがひろしに惹かれたのは自明の理だという気がします。わたしは、第1回目でお話ししていた下記のような老人への労る感情より、老人に対する性欲のほうが強かったのです。
“誰しもがお年寄りには優しく、と幼少時から両親からのみならず、町内会の標語、駅のポスター、そして寺や神社の掲示板で教え諭されてきたことと思います。このような標語にあるように、全世界的常識としてお年寄りを大事にすることは古今東西、自明の理なのです。倫理道徳の教材でもお年寄りを助ける子供の美談が随所に散りばめられていますし、少女漫画の世界では覚束ないお年寄りが噛ませ犬となって場を盛り上げ、少女の恋愛を成就させるのに一役買うことも多いわけです”
破壊っぷりに惹かれっぷり
お年寄りを大切に、というモラルよりもジェロントフェリアで、性欲が暴走。ひろしの腕をつねって引っ張ったらなにかしらと分離する感じの皮膚に「生欲」を感じて「性欲」が止まらない――。
滾るペニスよりも、しわくちゃのションボリした……なんというかこう、覇気のないペニスに立ち上がる有終の美にエクスタシーを感じてしまうのです。
同年代が普通にできることでもひろしがしてくれたら、それだけで感謝しちゃって、尊敬が止まらないノンストップ性欲がダダ漏れです。老人愛って不思議。時空にあらがう姿が、心底セクシーに思えるからなのかもしれません。
鍵を返すというわたしのLINEの趣旨に反して、メヴィウスの輪以上に分かり合えないひろしの「帰ってきてくれるんだ」という全身全霊全力の勘違いからの感謝感激雨あられLINE。こんな低姿勢になったことは後にも先にも、今生はないのではないでしょうか。
この一連の音声入力の崩壊っぷりをみて、膝から崩れ落ちそうなほど絶頂して、子宮の奥から会いたくなったわたしは一体、どうしたと思います?
〈スグカエル〉と電報のようなLINEを送り、辰巳新道のモツ煮からひろしの皮膚とペニスへと急いだのです。
次回(6/28更新予定)に続きます。
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