私の時給はパフェより低い…置き去り氷河期世代の苦悩「感覚死んでる」

ミドリマチ 作家・ライター
更新日:2024-06-08 06:00
投稿日:2024-06-08 06:00

【八王子の女・小林由紀44歳 #2】

 八王子の居酒屋で契約社員として働く由紀は、特段面白みのない毎日を過ごしている。元気な学生バイトたちに囲まれ慌ただしい日々だったが、その中で仲良かったバイトの鈴音が、裏で自分を蔑んでいることを知って…。【前回はこちら

 ◇  ◇  ◇

 由紀は4時間ほど手持無沙汰になった。

 バックヤードで事務作業を続けていてもよかったが、バイトの子たちの本音を耳にしてしまったこともあり、どうも同じ空間に居づらかったのだ。

「…あれ、パフェって、こんなに高かったっけ」
 
 暇つぶしに入った喫茶店で、何気なくパフェとエスプレッソを注文すると、その料金は、3000円近いものだった。

 フルーツがふんだんに使われた、パフェの値段は単品でも1600円。由紀の時給よりはるかに上だ。

 ――パフェなんて7、800円くらいだったような。

介護で進学を断念。氷河期世代の苦しみすら知らない

 確実に、時代は流れていた。

 あの居酒屋に由紀が勤務しだしたのは、高校時代に母親が脳梗塞で倒れ寝たきりになったことがきっかけだ。介護で大学進学をあきらめ、とりあえず目先のお金と通いやすさで職場を選び、ずるずると今に至る。

 1979年生まれの由紀は、いわゆる就職超氷河期と呼ばれた世代に属している。

 ただ、大卒でもなく、正社員で働くなど考える余裕もなかったため、その苦難を感じることはできていない。ずっとずっと目の前の一日をこなすことに夢中だったから。それは、ある意味幸せなことかもしれない。

 勤務する店は、業態や店名は変われど、場所と仕事内容は同じだ。兄が結婚で出て行き、両親が他界しても、暮らす家はそのまま。働けるところがあるだけでもありがたいと思う。

時代に取り残されている?

 ――まぁ、バカにされても当然か。

 学生バイトたちは2、3年で入れ替わり、不安と希望を抱え旅立っていく。自分は何も変化なく置いてけぼりだ。変わろうともしていないのから当然だ。

 昔からわかっている。こんな自分はキラキラした誰かの日常の背景にすぎないということを。おそらく、店のバイトたちには10年後は顔さえ忘れられている存在だろう。

「…なんておいしいんだろう」

 程なくして提供された、自分の時給以上のパフェを口に運びながら、由紀はそのおいしさににわかに心和らぐ。

 クリームの甘さとフルーツ酸味が程よく混じり合った上品な味わいが沁みた。ただそれだけのことなのに、なぜか由紀の心は深く痛んだのだった。

罵声を惨めに感じる暇はない。これも“仕事”。

 その日のディナータイムは、学生のサークル飲みが2件かぶり、キッチンもフロアもてんやわんやだった。

「店員さーん、ビールのピッチャーまだぁ?」

「このハイボール、薄いんですけどぉ」

「サラダもういらないから早くさげてよ」

「はい、おまちをー」

 由紀は明らかに年下の人間から、命令され急かされ罵られる。惨めになど感じる暇はない。彼らはお金を払ってくれるお客様だ。それが当然だから。18歳の時に、トレーニングで先輩に教わったまま対応しているだけだ。

「ぼったくりだろ! 土下座しろよ!」

 レジで高圧的な若者が、学生バイトの美波にすごんでいるのが見えた。その時間帯、社員は自分だけだった。由紀はすぐに駆け付ける。

「いかがいたしましたか?」

 理由を聞くと、単に飲み放題の人数を多く打ち間違えたそうだ。美波はすぐに訂正と返金をしたのだが、酒が入っていた男の怒りは罵声だけではすまなかった。

クレーマーの要求通りに土下座。…なにか間違えた?

「結局、いつもそういうやり方してるんだろ」

「一切ございません。大変、申し訳ございませんでした」

「悪いと思っているなら、土下座しろよ」

「…」

「早く!」

 由紀はだまって冷たいコンクリートの床に正座し、頭をこすりつけた。

 ピ、と録画の音が聞こえた。とにかく、早く解放してもらい、他のお客様対応に戻りたい一心であった。

 途端、空気がサッと引き潮になったのを肌が感じる。

 ――え、私、なにか間違えている?

 レジでクレームを訴えた若者や他の客たちのニヤニヤした目線よりも、バイトの子たちの、憐憫(れんびん)の視線が由紀に突き刺さった。

 彼らのためを思っての行為にも拘わらず、そんな目で見られるとは由紀は思ってもみなかった。

ミドリマチ
記事一覧
作家・ライター
静岡県生まれ。大手損害保険会社勤務を経て作家業に転身。女子SPA!、文春オンライン、東京カレンダーwebなどに小説や記事を寄稿する。
好きな作家は林真理子、西村賢太、花村萬月など。休日は中央線沿線を徘徊している。

関連キーワード

ライフスタイル 新着一覧


ワンオペ育児の日本と違う…台湾の妻が悩む“親戚の過干渉”
 国や地域によって、育児にまつわる文化の違いは様々ですよね。日本では日々忙しく過ごしているワンオペ育児ママが沢山いらっし...
「サボテン」には感情が? あなたの優しい言葉がトゲを抜く
「スマホをやりながら寝るのって絶対に睡眠妨害されてますよ。」  最近ワタクシの体メンテナンスをしてくださる方から言...
高級タワーマンションのラウンジで自撮りをする女の一生
 最近、たまたま都内の最高ランクのタワーマンションに行く機会が数回あったのですが、そこで2人組の美しい女性がラウンジのソ...
去勢手術は3日後…にゃんたま記念撮影でモフモフとお別れ
 これぞ! 鈴カステラ! 出来立てホヤホヤの美味しそうなにゃんたま!  食べちゃいたくなる、愛おしいにゃんたまω!...
猛暑の夏…健康な高齢者でも熱中症予防を“家族ですべき”理由
 介護士をしていた経験をもとにライターをしています。筆者はこれまで、認知症の症状や認知症を発症した時の具体的なケアについ...
がんでごめんね…「人生最後の生理」はある日突然やってきた
 私は42歳で子宮頸部腺がんステージ1Bを宣告された未婚女性、がんサバイバー2年生です(進級しました!)。がん告知はひと...
さくらももこさんのエッセイに学んだ 本当の「時は金なり」
「時は金なり」という言葉、年を取れば取るほど心に沁みるのはなぜでしょう。私がこの意味を意識したのは、さくらももこさんのエ...
産毛のような初々しさ…もうすぐ去勢する“にゃんたま”の刹那
 羊毛フェルトで作られた「にゃんたまストラップ」が巷で流行中。フニフニ揉むと、心癒され気持ちが落ち着くのだそう。 ...
結婚したら退職する? 自分が幸せになるための人生の歩み方
 少し前のOLだったら「寿退職」なんて当たり前だったのでしょうが、今はそうはいかないですよね。共働きが普通だし、お金の心...
大人になっても趣味に没頭したい! おすすめできる3つの趣味
 ストレス社会で闘う毎日にふと疲れた時、「何もかも忘れたい」と思うことはありませんか? 多くの人は飲み会や買い物で鬱憤を...
鬼灯って読めますか?夏の風物詩「ホオズキ」の意味と活用法
 地域によりますが、八月はお盆月でございます。  八月の声を聞くとワタクシのお店もお盆のお支度で慌ただしくなり、店...
夕陽で赤く輝いて…黒猫“にゃんたま”は美しい絵のようだった
 にゃんたマニアにみなさんこんにちは! きょうは、初めての黒猫にゃんたまωです。  黒猫のにゃんたまって、真っ黒だ...
遠方に住む親が心配…介護サービスの上手な選び方&使い方
 遠方に住んでいる両親が介護状態になった時、多くの人が「大丈夫かなぁ……」と心配になるはずです。しかし、現代では親の介護...
ホステスの世界にもある「裏引き」という名の“闇営業”の実態
 世間をにぎわせた“闇営業”。「事務所を通さず仕事のオファーを受け、報酬を得る」行為は、夜のクラブでも存在します。店に許...
料理下手を克服する4つの方法 もうメシマズ女と言わせない!
「料理を作ると思った通りの味にならない」「どうしても美味しくない」、そんな悩みを抱えていませんか? せっかく料理をしよう...
住宅ローンは一生無理?がんになった場合の気になるお金の話
 私は42歳で子宮頸部腺がんステージ1Bを宣告された未婚女性、がんサバイバー1年生です。がん告知はひとりで受けました。誰...