永野芽郁を泣かせた江頭2:50に賛否両論も…根強い“トリックスター”としての存在意義
お笑い芸人江頭2:50が3月29日に生出演したTBS系「オールスター感謝祭2025春」で大暴れして以降、Xで「エガちゃん」がトレンド入りし、賛否両論が続いている。
もともと過激なパフォーマンスで知られる江頭だが、今回も動物の着ぐるみを着て女優の永野芽郁(25)を「俺の女になれ!」などと叫びながら追いかけ回した。幸い永野に怪我などはなかったが、江頭が取り押さえられた後、永野が涙を拭い小刻みに首をふる姿が映し出された。賛成派が「番組を盛り上げた」などとコメントする一方、否定派は「放送事故」「いまの時代、芸とは認められない」などと、不快感も滲ませる。
芸能評論家の中野義則氏はこう言う。
「TBSが江頭さんを生放送でキャスティングしたことが全てだと思います。江頭さんは自分の芸としているキャラクターになり切り、求められていると思った通りに今回の番組でも動いたのでしょう。キャスティングしたTBS側は江頭さんはお客を呼べるとみてオファーを出したのでしょうけど、今回のような騒動になることも想定できたはずです。昔のテレビマンはリスクを負い、問題が起きたら責任を取っていましたが、出演自体を否定される覚悟を持って彼らはキャスティングしたのでしょうか。その覚悟がなければ、キャスティングしては駄目だと思います」
芸能リポーターの小柳美江さんはこう言う。
「今回の騒動は残念です。番組は見てませんが、報道を読むだけでも不快です。自分の芸を貫いたにしても、子供も見ているテレビですし、打ち合わせを無視するような振る舞いや暴走はテレビではNGだと思います。結局、今回のように共演者や番組関係者に迷惑をかけてしまいます。ただ、江頭さんの芸は特別ともいえ、過激さを貫くのであればテレビではなく、ライヴハウスでファンを楽しませて欲しいですね」
かつてはOKだったとしても、もはや今のテレビでは通用しないということのようだ。
■世の中に風穴を空けて、閉塞状況をぶっ壊すトリックスターとしての存在意義も
もっとも、だから江頭はテレビでお払い箱とばかりも言えない。民放との仕事が長い芸能プロデューサーの見方はこうだ。
「江頭のパフォーマンスはギャグで、それが成立するかどうかは視聴者が笑えるかどうか。今回は若い女優さんが本気で怖がっているように見えたし、それで笑えたという視聴者はほとんどいなかったのではないでしょうか。まあ、かつても江頭は自らの大ファンというタレント山川恵里佳を番組内で押し倒し、しばらく覆いかぶさって離れなかったことがありました。あのとき山川も顔を引きつらせ、見ていて決して楽しいものではありませんでしたけど、面白くもないし、笑えもしないことをやることも、江頭は自分の存在意義だと考えているのでしょう。予定調和を嫌うという意味では、昭和の大スターへの憧れも見え隠れしている。今回もマンネリ化とか、コンプラ重視に走りすぎている風潮とか、何かを壊したかったのかも知れません。今の時代、何かを壊すキャラは貴重な存在とも言えます。呼ぶ側は批判されるリスクを背負った上で、江頭が思いっきり暴れられる場を準備しなければなりませんが、そうまでする価値も、ゼロではないと言えます」
トリックスターとは物語でストーリーを混ぜっ返し、神話の秩序を破るいたずら好きだが、そうすることによって、物語を前に展開させる力を持つ。江頭も今回、トリックスターとしての存在意義は十全に発揮させたのだろう。
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業界でも一部ではあるが熱狂的ファンを持つ江頭2:50については●関連記事【もっと読む】の『江頭2:50が中居正広氏から“バイトCMの顔”を奪取!スポンサーからは絶大支持も地上波が敬遠するワケ』などもご覧ください。
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