ドラマ主演本数でキムタクとも競り合う
長瀬個人としても、00年放送の「池袋ウエストゲートパーク」(TBS系)をきっかけにワイルドな“男臭さ”が増し、それ以降、いくつものヒットドラマに主演。背が高く渋くてカッコいい、“男が憧れる男”になっていった。連続ドラマ主演本数は20本を超え、あのキムタクと長年競ってきた。
そんな長瀬の俳優業での活躍がTOKIOの音楽面も支えた。06年に主演を務めた「マイ☆ボスマイ☆ヒーロー」(日テレ系)の主題歌含む「宙船(そらふね)/ do! do! do!」が、デビュー曲に次ぐ48万枚のヒットを記録。グループの代表曲となる。また13年に主演した「泣くな、はらちゃん」(日テレ系)主題歌の「リリック」以降、多くの楽曲の作詞・作曲を長瀬が担当した。
骨太の本格派バンドに成長したTOKIOは、20周年である14年にジャニーズとして初めて「サマーソニック」などの大型野外フェスに参加。TOKIOファン以外の大勢の男性ロックファンが掛け合いを合唱し、彼らのステージングや演奏を称賛した。ジャニーズのコンサートでは聞き慣れない野太い歓声とギュウギュウに押し寄せる熱気が会場の一体感を作り出していた。
山口達也脱退以降、バンド活動は完全停止
音楽に真摯に向き合う姿勢は、グループ活動にも影響した。18年に山口達也(49)が不祥事を起こし、TOKIO脱退およびジャニーズ事務所を退所。この件に関しての会見で長瀬は「TOKIOの楽曲は彼の演奏する(ベースの)音がないと、まったく形にらない」と話し、それ以降バンドとしてのTOKIOは完全に停止したままになった。
SMAPの場合、96年に森且行(47)が人気絶頂の中、グループを脱退、事務所を退所しても変わることなく5人で活動を継続し、解散まで歌って踊ることをグループのメイン活動としていた。TOKIOの下した決断とは対照的だ。どちらも脱退は本人と他メンバーの不和が原因ではない。バンドであるTOKIOの方が、その1つのピースの大切さに重きを置き、欠けたままの活動は望まなかったのだろう。どちらが正しいということではなく、2つのビッググループが本質的に性質が異なることを裏付ける出来事だった。
「TOKIO力」を身に付けた長瀬の今後は…
TOKIOはアイドルとしての本業である音楽活動をしないまま、バラエティー番組を主戦場にすることとなった。幸か不幸かその舵取りが、バンドの中心であり“顔”だった長瀬が退所するに至っても、グループが存続する起因となった。通常、バンドにおいてボーカルとベースが抜けることは致命的だ。それでもTOKIOは城島、国分、松岡の3人でグループのレギュラーバラエティー番組を継続する。
国分は長瀬が退所する3月31日に、自身のTwitterで「歩いていればまたどこかで偶然会えるかもね」「その時は自分らが作った歌を唄おう!」と記している。そんな日が実際に訪れるかは分からないが、これからもTOKIOが歩みを止めることはなさそうだ。
そして長瀬も、身に付けた「TOKIO力」でどの分野に進んでもたくましく生き延びていくだろう。
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